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こんなに粛清したのに、陳平や周勃みたいに劉邦が亡くなった後でも漢のためにと思う部下がいたってことはやっぱり劉邦はカリスマがあったんだな
私もこんな人徳カリスマに使えてみたかった(^-^)
盧綰、画像がいい笑顔過ぎて悲劇に見舞われるのが辛い…
王は劉性に塗り替えても漢王朝の最後は家臣筋の夏侯嬰と曹参の子孫に乗っ取られるという皮肉
盧綰はその死後に妻子が呂后に許されたのがせめてもの救い旦那同士が親友だったわけだし、妻同士も親交があったのかもしれないな
旧沛县 集団の棟梁は漢高祖皇帝がご崩御してから呂氏皇太后に変更しました。旧同士をきちんと面倒するので 手柄高い張良でも左遷されました。だから 消滅した功臣集団の人間はただのちに漢軍事集団に加盟した旧諸侯の遺民である豪傑たちでした。
劉邦の楚漢戦争の解説はよくあるけど、その後の粛清の詳しい解説動画は無かったので助かります。地図付き助かります
ありがとうございます!
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個人的には盧綰が観ていて一番悲しいと感じた。股くぐりから王になった韓信も悲しいが、王になった幼馴染友人(劉邦)との和解も叶わずに匈奴に亡命したというのは心に響いた。
後の明の朱元璋の幼馴染みで開国第一の功臣といわれる徐達でさえ毒殺を疑われていますし、たとえ幼馴染みとはいえ皇帝に仕えるのは命懸けと言えますね。
まだ逃げ切っただけ盧綰はマシですよ。実際盧綰の子孫は後に前漢に戻っていますしね。
@@土屋真一-r1p 初耳です( °_° )
28:00 40代よりも50代超えてから妙に戦いに強くなった劉邦の不思議さw実戦で酷い目にあったから戦いが上手くなったのか、張良曰く「劉邦は賢い、吸い込むように覚える」だそうで、大器晩成だったのか。
元からある程度強かったんじゃない?項羽がレベチすぎてボコボコにされただけで
アタマは、良いので元々指揮は、出来る方だったそうですが、晩年、匈奴以外には、普通に勝ちだすのが不思議です。
@@marieiru 項羽や韓信、冒頓単于なんかのこの時代のレベチを除いて1番強い説
@@何度でも蘇る伊藤誠人外除いた人間の中でトップって訳か
劉邦の諸侯大粛清解説ありがとうございます。劉邦についてはよく適材適所な人材登用が上手かったとありますが、これは劉邦自身の性格より、項羽という巨大な敵が存在したことで反項羽戦力がまとまったという点を見逃せないと思います。項羽が死んだのち功績があった将軍のうち複数が謀反を起こしたのは、単に共通の敵がいなくなったことで今度は劉邦についていた将軍たちが、劉邦やその側近から何かと疑われ梯子を外されたというのも考えられますね。
韓信は、劉邦側近に嵌められて滅んだと書いてある本読んだことありますが「劉邦側近」って誰になるんでしょ?外敵いなくなれば半独立した存在に権力持たせてるのは危険ではありますが
Thanks!
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父親から親友付き合いしてて誕生日が同じで寝室への出入りも自由にさせてた盧綰まで疑っちゃってるのを見ると、政治的判断から始まった粛清が変質していったのは確かかなあ……浮気を疑って配偶者を調べて何も証拠が出なかったのに、浮気はしてないと判断せずホコリがちょっとでも見つかるまで延々と調べてしまうという感じで。
すげー中途半端なやさしさが残ってる劉邦に対して呂后がしっかりとカバーしててワロタwwwまぁなんやなんかこの粛清があったからこそ漢が続いた面もあったんだろうなぁ・・・。しかし潔くさっとこの粛清地獄から身を引いた張良がすごすぎる。王とか諸侯とかにしてもらえるのに「いいえ、俺は田舎でのんびり暮らしますんで」ってなろう系の主人公かよwww
結局盧綰はどういう意図で燕王に封ぜられたんだろうねただ純粋に親友を王にさせたかったのか、異民族に遅れをとらない将器とみたのか、はたまた逆に異民族に討たせるために意図的に王に封じたのか、親友を粛清の対象にしたくない為に僻地に追いやったのか…
ゴッドファーザーでも新平家物語の頼朝でも似たような描写(人を信じられなくなっていくリーダー)があります。そういうものなんでしょうね。
黥布は猛将の意地を示したね。かつて項羽配下筆頭が劉邦の生涯最後の敵となったのはなんか熱い
劉邦の粛正は、他と違い、いかにも行き当たりばっかりながらも完全成功するいかにも劉邦らしいと思っているのは、私だけでしょうか。今日もありがとうございました😊
おっしゃる通りかと。源頼朝が冷静沈着に上総広常や弟の義経&範頼、北条義時が和田義盛を始末したのと比べると、劉邦のそれは場当たり的に見える。それが大成功するところが劉邦の劉邦たる由縁に見えます 笑。
劉邦の粛清は行き違いで反乱を起こされたりしてるけど結構優しい処罰が多い気もしますね呂后が居たから厳しい処罰に変わってますよね
その後、呂氏の専横を除した忠臣の子孫もみんないなくなってしまいましたね。周亜夫も罪に問われたのを見てびっくりしました。
粛清と聞くと、漢の高祖(劉邦)か明の太祖(朱元璋)が出てきます。しかし、動画を見ているとその背景が異なるのが分かります。漢は戦国時代の「一旗あげてやるぜ」な気風が根強く残っていたり、後者は疲弊した民衆の生産力を回復させようとしたけれど、癒着や汚職がなくならず、打つ手が悉く裏目に出てしまった果てに起こってしまったのではないか、と考えてしまいます。
ここで粛清を遂行できたから漢朝400年が成ったのだ
粛清された有名所だと韓信や英布になりますが、もし劉邦が先にくたばっていなかったら、樊噲もヤバかったですからね💣
匈奴との対決や粛清・内乱鎮圧で、項羽との戦いに勝っても劉邦は大忙しだ。最も恩恵を受けたのは、粛清を熱心に勧めた呂后ですね。
粛清を生き延び呂氏から劉氏に天下を戻した真の忠臣陳平
越王勾践も絶大な権力持った途端劉邦と同じ事してましたね。帝位に就いても猜疑心を持たず功臣を粛清しなかった子孫の劉秀はどんだけ人が出来てるですかね
まぁ劉秀の時代は漢朝自体を脅かす存在が内部に無かったのも大きかったのかな?
劉邦粛清は何となく知ってはいたけど解説を見てよく分かりました。次は是非呂氏専横から劉氏復権の地代をお願いいたします。陳平の活躍を聞きたい!
それでも、日本の鎌倉幕府のように死後ヨメさんの実家に乗っ取られなかったのはなんとも運がいいというか。
ちゃんと残すべき人間は粛清しなかったのが大きい
源氏惣領家は同族で殺し合う一族だから、滅んでもしょうがない。
陳平が偉大過ぎるからな。中国共産党では鄧小平と共通点多くあると思う。
諸侯諸王の粛正は民衆レベルではやって欲しい後始末でもある漢王朝は実質秦のやり直しであり項羽のやらかしの後始末でもあるのでここの劉邦は悪意があるけどまあ仕方ない行動かな。また非常に低い立場から帝位についた場合、ヒエラルキーをリセットする必要もあるから排除者は増えがち()。ただ漢王朝は劉邦直後も血腥い印象が残ってなかなか受け入れ難い。
劉邦が沛公だった頃から付き従った家臣の多くが盧綰以外は王になれないってのも不思議だな。徳川家の譜代家臣がそんなに大きい石高を有する大名になれなかったのと似たようなもんなのだろうか?
諸侯王達は劉邦に付く前から勢力が大きかったから渡すべき報酬も多かった当時の朝廷の直轄地は全土の半分もなかったから家臣の報酬も多くはあげられなかったことと、元々異姓の王は滅ぼすつもりだったから信頼の厚い家臣を後に滅ぼしたくなったことも理由だと思う
大きい力は野心を呼ぶし、あとは親しい人たちは手元に置いておきたいから列候レベルにとどめておいたのだろう。韓信も一旦は候に落してでも生かしたのは、何かあった時の大将軍として手元に置いておきたかったのがあるのかも?
日本でも頼朝や家康などが、自身の政権樹立に際し、外様だけでなく身内や譜代を問わず徹底した粛正を行っていますが、身内を減らしすぎた源氏政権が短命で身内を確保した徳川政権が長命だったことを考えると、劉邦もかなりやり方が卑劣で汚くはありますが、創業者・為政者の姿勢としては正解だったのかもしれません。
同じく普代の家臣がいなかった秀吉が一族内での権力基盤構築に失敗してるし、単純に劉邦が耄碌したと判断するのもどうか。
豊臣政権も有力大名たちが力残したままでの連合政権に近い形だったね。そして、各大名の大粛清を行えなかったから、ほぼ一代で終わってしまった。逆に、徳川政権は関ケ原での戦いの戦後処理で有力大名の力を削げたのが長期政権下の大きな要素になったと思える。……そう思うと、漢帝国初期の諸王の粛清祭りは正しい流れかと思えるね。
劉邦の諸侯大粛清解説お待ちしてました!楚漢戦争を戦い抜いた英雄たちの末路に複雑な気持ちになりますが、結果として漢が長期王朝として栄えることに繋がったんですね。異姓諸侯王が残ったままだった場合のifルートが気になります。
劉邦の大粛清の解説ありがとうございました。横山光輝の項羽と劉邦で大陸統一まで知りましたが大粛清は横山光輝先生が描きたく無いので完結してしまいましたが漫画で読みたかったし今回の解説で、結構波乱な展開なんで執筆して欲しかったです。
横山先生は「史記」で大粛清を執筆されています!樊噲や蕭何まで疑っています、ぜひご覧下さい!
横山光輝作品なら史記にそこらへん書かれてますよ
そうなんだよ。項羽を倒して終わりじゃないんだよ。ここをしっかりやってこそ、劉邦の物語が終わらないんだよ。拍手!さて、どうなんだろうと思う反面のある劉邦だけど、ほとんどの反乱鎮圧に自身が動いているのは、さすがカリスマの塊。項羽との戦いで身に着いちゃったのかもしれんけど。横山三国志の曹操じゃないけど、正に「長い戦いの人生であったわ」です。
違います、反乱鎮圧に動ける軍事能力を持った将が高祖しかいなかったから自身が出向いたのですよ。高祖の軍事能力は英布と同等以上という評価です。恐らく高祖に勝てる将は、項羽、冒頓単于、韓信くらいでしょう。
樊噲はどうですか?燕王盧綰討伐に向かってますが。武は立つけど将の器ではないのかな。他にも、鳥さん曰く項羽の親族マニアの灌嬰や周勃もいますけど。反乱鎮圧の際、彼らは何をしてたのでしょう。従軍していたのかな。
この時代の前後で軍事最強は間違いなく項羽・韓信・冒頓単于であって、百敗将軍と言われる劉邦も基本的に負けたのは彼らだけ。諸侯の軍事を制限していたとはいえ、反乱をことごとく鎮圧しているし、劉邦の将としての才は、「せいぜい10万の兵」は実際にあったんでしょうね。
他の大粛清を行った皇帝に比べれば、劉邦はまだ情が残っている感じがしますね。後、項羽や冒頓単于のようなチート中のチートが相手で無ければ、劉邦は本当に強いですね。
こうやって見ると項羽の方が甘ちゃんだな。諸王の立場だけ考えると項羽を担いで皇帝にした方が安楽に過ごせたのかも
みんなで分けちゃ、分け前がへるし、反乱の恐れもあるし、いなくなったほうがトップのため、平和のためだもんね。仕方ない。日本でもあるある。
権力のてっぺんまで上り詰め、後は邪魔者を消せモードに…一代でほぼ全ての諸侯を劉氏に塗り替えたのは凄いとしか言いようがないです。
司馬氏も劉氏の真似をして一族を王に封じたら反乱されまくって終わりました
劉氏も反乱起こされていますから……終わらなかったけど。
かといって、地方分権し勢力を持たれるのも、また滅亡の原因に成ってます。唐王朝然り、豊臣政権然り。同族、功臣、外様をバランス良く配置し互いを牽制させれば少しは長続きするかも?所詮完璧な国家スタイルは未だに確立されて無いんでしょうね。500年持てば上等です。
ハンカイは粛清対象になったけど、(陳平の独断で)助かったのでセーフ扱いですね。
有能な人材を使いこなして天下を取った。天下を盤石にするために不安定要素を的確に排除した。国を興す人とは、そういうもんなんだろう。
陳勝・呉広の乱からこれだけ戦ってて戦闘で完敗した相手が項羽と単于くらいって考えると劉邦は普通に戦上手なのでは?この動画を見てやはり劉邦は中国史に輝く大英雄なのだと思いました。
討伐に一々劉邦が出張っているのも特徴的
曹操における曹仁のような、「一族に大部隊を任せられる人材がいない」という事情もあるのでしょうね。いたらいたで「呉楚七国の乱」で周亜夫が苦戦させられていそうだし、複雑な心境になります
諸侯王を討伐できるだけの軍事能力を持ったものが高祖しかいなかったからですよ。
粛清祭りの中で最後の最後に生き残った蕭何がいないのは粛清されなかったから?でも彼もきっと劉邦の粛清リストにはノミネートされてたんじゃないかと思います。蕭何が生き残ったのは多くの方が知るところだと思いますが、劉邦の寿命が尽きかけてたのもありますがこのあたりで粛清の虫が治まったんじゃないかと思います。もう一つ・・・代王を劉恒にしたあたりで拍手喝采した視聴者さんが多かったんじゃないでしょうか。文帝好きな自分は思わず劉邦の超ファインプレーに泣きそうになりました。
粛清と言っても、この動画を見る限りは対象は半独立勢力の諸王ばかりで近臣ではないからなぁ。猜疑心が暴走しての大粛清ではなくて、国家安定の為の仕上げにしか見えない。
蕭何は豊臣政権でいう浅野長政、独立した勢力としては小さすぎる
粛清祭りにノミネートされそうで「あかん、これは悪臣演じて豪遊して疑いの目除けなければ」とやらざるを得なかった人が蕭何なわけで。なまじ政治力が時代屈指だったせいで劉邦の本拠地の留守番任されることが多すぎて、本拠地乗っ取りって線を疑いの目で見られるっていう大粛清時代に結構保身に走ったからこそ身を真っ当したのが楚漢戦争後の蕭何ってイメージです。
正直項羽より劉邦のほうが覇王という言葉が当てはまる
こう言う同胞の大粛清って粛清対象目線だと、最後の一人になるとほんと嫌だよね・・・。逃げられない上に今まで色んな粛清を聞いてる分確実に、自分にも何時か粛清が来る事が解ってる状態で日々を過ごすとか地獄。
まあ逃れた人間もいるわけで言うとこ処世術でしょうね。
共通の敵がいなくなれば内部争いが始まる。人間の常とはいえ、悲しきかな😢今年の大河ドラマでも、源頼朝が平家滅亡後に劉邦ばりの粛清を行うのが見られる……かも。
分かりやすいです。面白いです。
皇帝自らの出陣とはいえ劉邦ふつうにつえーんだよなぁ…項羽相手にも防戦一方とはいえ耐えきってたしやはり将の将という韓信の見立ては間違ってなかったのか
あー 最後は ハンカイに指示してロワンを討伐か。義弟に親友を殺せとは・・・疑心暗鬼はツライ。
はんかいもろわんも漢字が難しすぎるなんなられきいきもしばいも
劉邦は垓下の戦いで勝利して以降、劉氏以外の諸侯王はいずれ滅ぼすつもりではあったのでしょう。殆どの戦いに自ら赴いているのがそれを強く感じますね。
😊
張良さんが理想の軍師とされた理由は、勝った後に粛正もされず、反乱も起こさなかったのもあるな。
多分これをやりたかったのが、石田三成。劉邦が直接討伐するから効果があるのであって、他の人々が率いてもきっと上手く行かないでしょう。豊臣政権のミスは、親族から先に誅殺してしまったところ。三成のミスは、自分の理想の政権構想(豊臣家への権力集中)が、時代の常識(大名による合議制の上に将軍が乗る)とズレているのを理論的正しさで押し切ろうとしてしまったところだと思う。
石田三成については確かにと思います。前漢の三成と言えるのが景帝時代の鼂錯であり、彼の急進的すぎる諸侯王領土削減策は、呉楚七国の乱を呼びました。豊臣政権末期の混乱時に、大和大納言の旧領を解体し、黒田長政や福島正則ら“七将”に命を狙われた三成は、鼂錯と同様に戦乱の中で処刑されるにも、彼らの業なのでしょうか。
関ヶ原を積極的に起こしたのが三成かという話もあるしね。豊臣政権自体官僚制度がまるで整っていないので誰かが音頭を取らないとあっという間に瓦解する。あの時点で家康がいなくなれば豊臣家自体が持たないというどうしようもない構造的欠陥があるからね。
この大粛清を華麗にかわした張良師匠。劉邦にとっては脅威だったと思われる。張良師匠は王ではないが、張良師匠が推戴する韓王信を葬ったのであるから。
始皇帝、項羽、劉邦と歴史を変えた人物が彗星のごとく出てくるこの時代は人類の転換期の一つですね
ご支援ありがとうございます……!!超ド級のスーパースターばかり出てくる最高に楽しい時代ですね!!
何百年と続いた戦国時代の終わり。諸侯にもまだまだ野心があったと思いますよ。劉邦を討てばワンチャンあったかもしれない。そこに自ら出向く劉邦はやはり大人物と言わざるを得ない。
粛清した方が間違いなく平和になるからやむ無しでしょう。
各個に反乱、各個に撃破。後々の世で諸侯が結託して大反乱、とならなかったわけで、劉邦はやっぱもってる皇帝なんだなぁ。
張敖は諸侯に落とされますが、魯元公主との子である張偃が呂氏時代に魯王として復活してます。呂氏粛清時に再び諸侯に落とされますが、処刑は免れてます。
呂氏一族の血を引いているものの中で殺されなかったのは張偃だけとか・・・あの樊カイの息子ですら殺されましたからね。
相手が各王朝末期の暗君でなく項羽だったのがまた凄みが出る@_@;
呂 雉も新婚の頃は良き妻だったと横山先生の漫画で説明されていたのに
劉邦は戦下手と思われがちだが項羽強すぎなだけで他には勝ってるのよね
冒頓にはコテンパンにされ、諸侯王時代の韓信とは戦争してないは一応の補足として(実際戦争になったら韓信最強だわ、と避けた)ただ、対秦戦争時代の咸陽への一番乗り達成は張良は居たけど明らかに沛公劉邦の軍才なんですよねえ。
最終的に力のある人たちを直接間接で処刑した呂氏が専横したことによって漢が長く続いたように思えます歴史って本当に必然ですよね
劉邦は実は結構政治も軍事もやるんですよね、家臣達が優秀でしかも敵があの項羽なので目立たないですが政治のツボは抑えていて項羽以外には負けていなかったかと。しかし皇帝になってからの劉邦はこんな有様なので横山光輝先生が項羽と劉邦の最後ではっきりと皇帝になってからの劉邦は書きたくないって言ってるんですよね。
冒頓単于...
劉邦と項羽しか選択がなかった当時は本当に地獄そのものだったとしか言いようがない
韓信による劉邦評でせいぜい10万の将ってあるけど、同時代に化物が多過ぎただけで数々の親征が示すように10万統率できるだけでも充分有能なんだよなぁ…。
項羽、冒頓単于……………
呂后も大変だったなぁ。項羽家臣団の時も思ったのだけれど、信頼置ける家臣団と家臣を信頼できる君主は何より貴重で大切なのだろうなぁ。しかし、朱元璋とは何か違う気がする。
それにしてもしっかり反乱鎮圧とかで結果残してるのに、ゲームや小説なんかでは戦下手扱い受けてて高祖も気の毒ですな。私もいつか鳥人間陛下に粛清されちゃうのだろうか…((( ;゚Д゚)))
1500年後李善長「漢の高祖のごとくすれば貴方様は天下を取れましょうぞ」???「わかった……」
劉邦、戦が強いよね。相手が項羽の時は流石に目立たなかったけどね。ほんまに劉邦と劉備は似てるよね
秦が中華の規範とならずに漢が中華の規範となったのはやはり秦はあくまで「列強の一角」であり「征服者」という側面から脱却できなかったからだと思う。漢が中華帝国となれたのは、やはり何者でもないという出自がむしろ人の上に立つことを容易にしたのだと考えることができよう。
おっしゃる通りだと考えます。項羽と劉邦はどちらも楚の出身ですが、項羽は“楚人”であることに拘り、彼の封建体制は春秋時代の晋と楚の覇権争いのように楚を覇者として上に置くものでしたが、漢にはそれがなかった。能力の多寡はともかく、重臣・側近の“出身地多様性”という点は、劉邦が最も項羽に勝るものだったのではと思います。
これでも後の世に現れる朱元璋-洪武帝の大粛清に比べればまだマシという…
劉邦の場合、配下とはいえ半独立国で同盟相手に近い感じの諸王達だからなぁ。そして、すぐに反乱が起こされている以上、真の意味での統一を目指し粛清に乗り出すのはしょうがない気がする……
劉一族で中華を統括する中で真っ先に燕王に封じられたのが呂綰と言うのが とても良い話だったのに、その呂綰でさえも信じられ無く成るのは悲しい事です😢劉邦って結構、親征してたのか。 普通に名将だったんですね🤔
項羽や冒頓単于のような同世代最強に勝てなくても、そこから1,2格が落ちる相手ならきっちり勝てるくらいには強い。そこは400年後の子孫も同じ。
@@軍鶏しゃも 様確かに‼️玄徳さんも曹操意外には勝率高いですね。黄巾賊、袁術、呂布呉復讐戦 等々…返信ありがとうございました😊
@@cainabel4909 夷陵…
@@軍鶏しゃも 高祖の軍事的評価は少なくとも英布以上と言われていますからね。英布自身も反乱時に言っていますしね、「韓信・彭越は敵対したら困難だが死んだ、高祖は年だから戦場には出てきまい、それ以外は小粒だから相手にならない」と。
呉芮の長沙国は、文帝の頃後継者不在で消滅したが、粛清と無縁の奇跡の異性諸侯国。呂后死後、呂氏が、景帝の頃 呉楚七国の乱で劉氏諸侯が多く滅んだことを考えると、地味で目立たず、さりげない功を立てる事こそ保身の道なのかも?
ドリフターズで高木ブーが一番長生きしてる事に通じますね
黥布の最後の捨て台詞カッコいいですね~唯一生き残った呉芮も面白い人物です😊乱世は後世の人から見たらめっちゃ面白いけど当事者は大変😥これからも動画楽しみにしてます。色々な中国史教えて下さい😊
親征して反乱を鎮圧できるんだからそれなりに有能なんだね。まあ、韓信からも「十万ぐらいの将」と評されてたしね。
重い耳と張る耳で区別すると便利だ>チョウジ
この感じだともうまともな最期を遂げられたのは項羽の親戚筋くらいだな
本宮ひろしの赤竜王だと、項羽や劉邦は3話から出るが、黥布は第1話に出ている。
悲劇や滅亡は嫌いですから粛清の是非はともかく、後の光武帝が史上最も光属性の中華皇帝になれたのも、易姓革命の繰り返しから大陸が逃れられる可能性がかつてあったのも、劉邦の粛清とその後の中央集権にあったと思うので皇帝なるものを後世に残した実質上の初代である劉邦のことは評価しています。
劉邦にしてみれば始皇帝の秦や項羽の西楚があっという間に滅びたのを目の当たりにしてるわけでなあ。劉邦は名君じゃないと言う人もいるけど、僕としては粛正もできないようで高祖になれるかといいたいね。粛正と虐殺は違うっての。
粛清&虐殺を行わなかった劉秀・李世民・趙匡義と比較する声はありますね。状況の違いなどもあるので一概には言えないと思いますが…。何となくですがあくまで語感からだと粛清は内部からの排除、虐殺は略奪・破壊が目的という印象があります。
ぎゃーすみません!趙匡胤と間違えました!
光武帝の場合、妻の馬皇后が亡くなるとすぐ、権力を家臣に奪われちゃいましたからねえ。(その後とりかえすけど)李世民は父と甥っ子を粛正してますし、武則天が後始末をしてくれた部分が大きい。宋の太祖は統一前に亡くなったのでそもそも粛正は無理なんだけど、後10年生きてたらどうなったか。文治主義への転向は弟の太宗の功績が大きいですからね。
趙人って礼節にうるさいんだろな陳勝の乱の時にも李良って武将が礼を欠いたって事で謀反起こしてるもんな
動画ありがとうございます。漢王朝当初は中央集権と封建制の間の江戸時代の幕藩体制のようなものとかを目指していたという感じがしました。それが権力闘争の結果、中央集権体制が確立されて以後古代官僚制による政治体制が中国の政治体制となるという意味では今回の動画は中国の歴史のターニングポイントですよね。
血生臭く物悲しい粛清も、戦争と同じで政治の一貫という側面はあるんですねえ。横山光輝の漫画には「すべての権力者が陥る病」と書かれていて、この一文だけで納得しまっていました。まっさきに臧荼が反乱起こしたのも、境遇への不満や劉邦の猜疑心とか関係なくただ”先”を見ていただけだったのかもなあ、なんてことを思いました。勝ち筋あったんですかねこの人。戦っているうちに項羽陣営のように周囲で呼応者が増えることを見越していたとか?劉邦が親征してスピード解決せずに一年くらい鎮圧に時間かけてたらまた中華は荒れてたんでしょうかね。とはいえ政治と割り切れないのも人間ですし、あれだけ人たらしで成り上がったはずの劉邦が晩年には人と会うことすら嫌がったという話も、本当かどうかはともかく切ない話です。こうして栄達した諸侯王が悲惨な末路を辿るのを見ていると、禄高3万戸を断って1万戸の、それも劉邦と出会ったメモリアルスポットを希望した張良は流石ですね。それと盧綰が反乱した経緯は知らなかったんですが、彼は裏切って兵を挙げたわけではなかったんですね。高橋のぼる『劉邦』の盧綰が結構好きなのでそこはちょっとほっとしました。その一方で、その高橋のぼる『劉邦』で呂后が盧綰のこと嫌っているのにも納得……w
こんばんは。前にパントリーを通販で買ったら、しっかりサイズ測ったはずなのにドアが閉まらず泣く泣く返品した話は悲しくなるから勘弁な!因みに買い直したよ!wwこうして革命・戦乱・粛清の終わらないワルツが大陸で始まるのであった。平和というものはその3つに移行する間のほんの一時を言うんだろうなあ。無情だ。それにしても統一王朝の難しいところやね。功臣に大きく土地を分け与えるのか?一族で専有するのか?どちらも一長一短あるんだよなあ。
歴史視点で見れば、本来、始皇帝がやるべき事だった物を、劉邦がするハメになった。とも言える。
毛沢東「劉邦は手ぬるい、もっと粛清が必要!」
ローマ帝国が寛容さ、多様性で大帝国になったのに対して漢王朝は画一性、同一化により大帝国になったんだと思うよな
帝国中に街道を張り巡らせたローマ帝国、かたや壁を作った中国王朝。ローマ帝国と中国王朝は実に正反対。皇帝のあり方も、ローマ帝国ではあくまで市民や元老院の代表という建前で中国のそれとは大違いでしたね...
長沙王呉氏は文帝の代まで王の地位を保ったが、子供がいなく滅んだそうな。呂氏一族の王も呂后死去後すぐ討伐されたし、文帝の代では諸王は全て劉氏となった。そして景帝の代で劉氏王が反乱起こすとかね・・・
逆に粛正しなかったら秀吉みたいに劉邦の子孫は滅ぼされてたんじゃないかな。漢王朝も短命に終わったと思う。天下統一とその後で人が変わった、というよくある評価は現実感が無いというか、かなり浅い物の見方だな〜と思ってる。
たしかにそうですね…。劉邦に限らずこの手の功臣たちが君主に疎まれて…というエピソードはどうしても排除される側に感情移入して、そこにある政治的な背景などを無視して考えてしまいがちですが、君主個人の感情だけをその理由にしてしてしまうのも短絡的かもしれないですね。
劉邦という中国史でも珍しい生い立ちと性格の皇帝が、必要に迫られたとはいえ、本心はどんな気持ちで諸侯王を滅ぼしていったんでしょうね。なんとなく少し秀吉と似てるような気もします
前漢を作った劉邦は疑心暗鬼になって功臣を粛清をしまくったが、後漢を作った劉秀は家臣を粛清しないで王朝は安定したが一体何故この様な差が出てしまったのだろうか?
英布の「皇帝になりたいだけさ」も一見、格好いいけど、野心に目覚めての反乱ではなく、追い詰められて、一か八かの勝負にでただけだからなあ「(死にくないから)皇帝になりたいだけさ」正解のような気がする。
政権を奪取するのも大変だけど、維持するのも大変だし、その先例もないもんね。血縁で固めるのもアリだったのかな。ところで、「先日○○さんを粛正しました。ご相伴ください」とか何とかいって送られてきたおすそ分けの塩漬けって、みんなどうしてたのかな?捨てた?食べた?気になるわあ。
勝利を確定するには、鬼になるしかないのか。
南越王趙佗「許された」
いーよいーよ!オープニングおもしろいよ!!
3:47の黥布とか時々出てくる実写の出展が知りたい
項羽と劉邦ドラマ でググると出てきますよ
天下統一の後なんて有能揃えた人材コレクターの秦始皇帝でさえ無理なのに劉邦で出来るかって話。安定してたのは、清くらいになってからだな。規律や制度の完成度を上げた清も外圧が強くなると崩壊したけど。
劉邦は偉大な皇帝だけどこれがあるから名君と言い難い。
統治を劉氏で独占させたことで漢は安定し、劉氏以外の統治を否定した言葉を残したことが光武帝劉秀の助けとなった。冷酷な処置だけど名君だよ、単純な優しさじゃ帝国は作れない。
諸侯の内乱という後顧の憂いを断とうとしたと考えれば、国体維持の点では名君だと思える。
こんなに粛清したのに、陳平や周勃みたいに劉邦が亡くなった後でも漢のためにと思う部下がいたってことはやっぱり劉邦はカリスマがあったんだな
私もこんな人徳カリスマに使えてみたかった(^-^)
盧綰、画像がいい笑顔過ぎて悲劇に見舞われるのが辛い…
王は劉性に塗り替えても漢王朝の最後は家臣筋の夏侯嬰と曹参の子孫に乗っ取られるという皮肉
盧綰はその死後に妻子が呂后に許されたのがせめてもの救い
旦那同士が親友だったわけだし、妻同士も親交があったのかもしれないな
旧沛县 集団の棟梁は漢高祖皇帝がご崩御してから呂氏皇太后に変更しました。旧同士をきちんと面倒するので 手柄高い張良でも左遷されました。だから 消滅した功臣集団の人間はただのちに漢軍事集団に加盟した旧諸侯の遺民である豪傑たちでした。
劉邦の楚漢戦争の解説はよくあるけど、その後の粛清の詳しい解説動画は無かったので助かります。地図付き助かります
ありがとうございます!
いつもご支援ありがとうございます!!
格別のご厚意いただき、日々の励みになっております!
個人的には盧綰が観ていて一番悲しいと感じた。股くぐりから王になった韓信も悲しいが、王になった幼馴染友人(劉邦)との和解も叶わずに匈奴に亡命したというのは心に響いた。
後の明の朱元璋の幼馴染みで開国第一の功臣といわれる徐達でさえ毒殺を疑われていますし、たとえ幼馴染みとはいえ皇帝に仕えるのは命懸けと言えますね。
まだ逃げ切っただけ盧綰はマシですよ。
実際盧綰の子孫は後に前漢に戻っていますしね。
@@土屋真一-r1p 初耳です( °_° )
28:00 40代よりも50代超えてから妙に戦いに強くなった劉邦の不思議さw実戦で酷い目にあったから戦いが上手くなったのか、張良曰く「劉邦は賢い、吸い込むように覚える」だそうで、大器晩成だったのか。
元からある程度強かったんじゃない?
項羽がレベチすぎてボコボコにされただけで
アタマは、良いので元々指揮は、出来る方だったそうですが、晩年、匈奴以外には、普通に勝ちだすのが不思議です。
@@marieiru 項羽や韓信、冒頓単于なんかのこの時代のレベチを除いて1番強い説
@@何度でも蘇る伊藤誠人外除いた人間の中でトップって訳か
劉邦の諸侯大粛清解説ありがとうございます。
劉邦についてはよく適材適所な人材登用が上手かったとありますが、これは劉邦自身の性格より、項羽という巨大な敵が存在したことで反項羽戦力がまとまったという点を見逃せないと思います。項羽が死んだのち功績があった将軍のうち複数が謀反を起こしたのは、単に共通の敵がいなくなったことで今度は劉邦についていた将軍たちが、劉邦やその側近から何かと疑われ梯子を外されたというのも考えられますね。
韓信は、劉邦側近に嵌められて滅んだ
と書いてある本読んだことありますが
「劉邦側近」って誰になるんでしょ?
外敵いなくなれば
半独立した存在に権力持たせてるのは危険ではありますが
Thanks!
ご支援ありがとうございます!
いつも力をいただいております!!
父親から親友付き合いしてて誕生日が同じで寝室への出入りも自由にさせてた盧綰まで疑っちゃってるのを見ると、政治的判断から始まった粛清が変質していったのは確かかなあ……浮気を疑って配偶者を調べて何も証拠が出なかったのに、浮気はしてないと判断せずホコリがちょっとでも見つかるまで延々と調べてしまうという感じで。
すげー中途半端なやさしさが残ってる劉邦に対して呂后がしっかりとカバーしててワロタwww
まぁなんやなんかこの粛清があったからこそ漢が続いた面もあったんだろうなぁ・・・。しかし潔くさっとこの粛清地獄から身を引いた張良がすごすぎる。
王とか諸侯とかにしてもらえるのに「いいえ、俺は田舎でのんびり暮らしますんで」ってなろう系の主人公かよwww
結局盧綰はどういう意図で燕王に封ぜられたんだろうね
ただ純粋に親友を王にさせたかったのか、異民族に遅れをとらない将器とみたのか、はたまた逆に異民族に討たせるために意図的に王に封じたのか、親友を粛清の対象にしたくない為に僻地に追いやったのか…
ゴッドファーザーでも新平家物語の頼朝でも似たような描写(人を信じられなくなっていくリーダー)があります。そういうものなんでしょうね。
黥布は猛将の意地を示したね。かつて項羽配下筆頭が劉邦の生涯最後の敵となったのはなんか熱い
劉邦の粛正は、他と違い、いかにも行き当たりばっかりながらも完全成功するいかにも劉邦らしいと思っているのは、私だけでしょうか。今日もありがとうございました😊
おっしゃる通りかと。
源頼朝が冷静沈着に上総広常や弟の義経&範頼、北条義時が和田義盛を始末したのと比べると、劉邦のそれは場当たり的に見える。それが大成功するところが劉邦の劉邦たる由縁に見えます 笑。
劉邦の粛清は行き違いで反乱を起こされたりしてるけど結構優しい処罰が多い気もしますね
呂后が居たから厳しい処罰に変わってますよね
その後、呂氏の専横を除した忠臣の子孫もみんないなくなってしまいましたね。周亜夫も罪に問われたのを見てびっくりしました。
粛清と聞くと、漢の高祖(劉邦)か明の太祖(朱元璋)が出てきます。しかし、動画を見ているとその背景が異なるのが分かります。
漢は戦国時代の「一旗あげてやるぜ」な気風が根強く残っていたり、後者は疲弊した民衆の生産力を回復させようとしたけれど、癒着や汚職がなくならず、打つ手が悉く裏目に出てしまった果てに起こってしまったのではないか、と考えてしまいます。
ここで粛清を遂行できたから漢朝400年が成ったのだ
粛清された有名所だと韓信や英布に
なりますが、もし劉邦が先にくたばって
いなかったら、樊噲もヤバかったですからね💣
匈奴との対決や粛清・内乱鎮圧で、項羽との戦いに勝っても劉邦は大忙しだ。最も恩恵を受けたのは、粛清を熱心に勧めた呂后ですね。
粛清を生き延び呂氏から劉氏に天下を戻した真の忠臣陳平
越王勾践も絶大な権力持った途端劉邦と同じ事してましたね。帝位に就いても猜疑心を持たず功臣を粛清しなかった子孫の劉秀はどんだけ人が出来てるですかね
まぁ劉秀の時代は漢朝自体を脅かす存在が内部に無かったのも大きかったのかな?
劉邦粛清は何となく知ってはいたけど解説を見てよく分かりました。次は是非呂氏専横から劉氏復権の地代をお願いいたします。陳平の活躍を聞きたい!
それでも、日本の鎌倉幕府のように死後ヨメさんの実家に乗っ取られなかったのはなんとも運がいいというか。
ちゃんと残すべき人間は粛清しなかったのが大きい
源氏惣領家は同族で殺し合う一族だから、滅んでもしょうがない。
陳平が偉大過ぎるからな。中国共産党では鄧小平と共通点多くあると思う。
諸侯諸王の粛正は民衆レベルではやって欲しい後始末でもある
漢王朝は実質秦のやり直しであり項羽のやらかしの後始末でもあるのでここの劉邦は悪意があるけどまあ仕方ない行動かな。
また非常に低い立場から帝位に
ついた場合、ヒエラルキーをリセットする必要もあるから排除者は増えがち()。ただ漢王朝は劉邦直後も血腥い印象が残ってなかなか受け入れ難い。
劉邦が沛公だった頃から付き従った家臣の多くが盧綰以外は王になれないってのも不思議だな。
徳川家の譜代家臣がそんなに大きい石高を有する大名になれなかったのと似たようなもんなのだろうか?
諸侯王達は劉邦に付く前から勢力が大きかったから渡すべき報酬も多かった
当時の朝廷の直轄地は全土の半分もなかったから家臣の報酬も多くはあげられなかったことと、元々異姓の王は滅ぼすつもりだったから信頼の厚い家臣を後に滅ぼしたくなったことも理由だと思う
大きい力は野心を呼ぶし、あとは親しい人たちは手元に置いておきたいから列候レベルにとどめておいたのだろう。
韓信も一旦は候に落してでも生かしたのは、何かあった時の大将軍として手元に置いておきたかったのがあるのかも?
日本でも頼朝や家康などが、自身の政権樹立に際し、外様だけでなく身内や譜代を問わず徹底した粛正を行っていますが、身内を減らしすぎた源氏政権が短命で身内を確保した徳川政権が長命だったことを考えると、劉邦もかなりやり方が卑劣で汚くはありますが、創業者・為政者の姿勢としては正解だったのかもしれません。
同じく普代の家臣がいなかった秀吉が一族内での権力基盤構築に失敗してるし、単純に劉邦が耄碌したと判断するのもどうか。
豊臣政権も有力大名たちが力残したままでの連合政権に近い形だったね。
そして、各大名の大粛清を行えなかったから、ほぼ一代で終わってしまった。
逆に、徳川政権は関ケ原での戦いの戦後処理で有力大名の力を削げたのが長期政権下の大きな要素になったと思える。
……そう思うと、漢帝国初期の諸王の粛清祭りは正しい流れかと思えるね。
劉邦の諸侯大粛清解説お待ちしてました!
楚漢戦争を戦い抜いた英雄たちの末路に複雑な気持ちになりますが、結果として漢が長期王朝として栄えることに繋がったんですね。
異姓諸侯王が残ったままだった場合のifルートが気になります。
劉邦の大粛清の解説ありがとうございました。
横山光輝の項羽と劉邦で
大陸統一まで知りましたが
大粛清は横山光輝先生が
描きたく無いので完結してしまいましたが
漫画で読みたかったし
今回の解説で、結構波乱な展開なんで
執筆して欲しかったです。
横山先生は「史記」で大粛清を執筆されています!樊噲や蕭何まで疑っています、ぜひご覧下さい!
横山光輝作品なら史記にそこらへん書かれてますよ
そうなんだよ。項羽を倒して終わりじゃないんだよ。ここをしっかりやってこそ、劉邦の物語が終わらないんだよ。拍手!
さて、どうなんだろうと思う反面のある劉邦だけど、ほとんどの反乱鎮圧に自身が動いているのは、さすがカリスマの塊。項羽との戦いで身に着いちゃったのかもしれんけど。横山三国志の曹操じゃないけど、正に「長い戦いの人生であったわ」です。
違います、反乱鎮圧に動ける軍事能力を持った将が高祖しかいなかったから自身が出向いたのですよ。
高祖の軍事能力は英布と同等以上という評価です。
恐らく高祖に勝てる将は、項羽、冒頓単于、韓信くらいでしょう。
樊噲はどうですか?燕王盧綰討伐に向かってますが。武は立つけど将の器ではないのかな。
他にも、鳥さん曰く項羽の親族マニアの灌嬰や周勃もいますけど。反乱鎮圧の際、彼らは何をしてたのでしょう。従軍していたのかな。
この時代の前後で軍事最強は間違いなく項羽・韓信・冒頓単于であって、百敗将軍と言われる劉邦も基本的に負けたのは彼らだけ。諸侯の軍事を制限していたとはいえ、反乱をことごとく鎮圧しているし、劉邦の将としての才は、「せいぜい10万の兵」は実際にあったんでしょうね。
他の大粛清を行った皇帝に比べれば、劉邦はまだ情が残っている感じがしますね。
後、項羽や冒頓単于のようなチート中のチートが相手で無ければ、劉邦は本当に強いですね。
こうやって見ると項羽の方が甘ちゃんだな。諸王の立場だけ考えると項羽を担いで皇帝にした方が安楽に過ごせたのかも
みんなで分けちゃ、分け前がへるし、反乱の恐れもあるし、いなくなったほうがトップのため、平和のためだもんね。仕方ない。日本でもあるある。
権力のてっぺんまで上り詰め、後は邪魔者を消せモードに…
一代でほぼ全ての諸侯を劉氏に塗り替えたのは凄いとしか言いようがないです。
司馬氏も劉氏の真似をして一族を王に封じたら反乱されまくって終わりました
劉氏も反乱起こされていますから……終わらなかったけど。
かといって、地方分権し勢力を持たれるのも、また滅亡の原因に成ってます。唐王朝然り、豊臣政権然り。
同族、功臣、外様をバランス良く配置し互いを牽制させれば少しは長続きするかも?所詮完璧な国家スタイルは未だに確立されて無いんでしょうね。500年持てば上等です。
ハンカイは粛清対象になったけど、(陳平の独断で)助かったのでセーフ扱いですね。
有能な人材を使いこなして天下を取った。天下を盤石にするために不安定要素を的確に排除した。国を興す人とは、そういうもんなんだろう。
陳勝・呉広の乱からこれだけ戦ってて戦闘で完敗した相手が項羽と単于くらいって考えると劉邦は普通に戦上手なのでは?
この動画を見てやはり劉邦は中国史に輝く大英雄なのだと思いました。
討伐に一々劉邦が出張っているのも特徴的
曹操における曹仁のような、「一族に大部隊を任せられる人材がいない」という事情もあるのでしょうね。
いたらいたで「呉楚七国の乱」で周亜夫が苦戦させられていそうだし、複雑な心境になります
諸侯王を討伐できるだけの軍事能力を持ったものが高祖しかいなかったからですよ。
粛清祭りの中で最後の最後に生き残った蕭何がいないのは粛清されなかったから?
でも彼もきっと劉邦の粛清リストにはノミネートされてたんじゃないかと思います。
蕭何が生き残ったのは多くの方が知るところだと思いますが、劉邦の寿命が尽きかけてたのもありますがこのあたりで粛清の虫が治まったんじゃないかと思います。
もう一つ・・・代王を劉恒にしたあたりで拍手喝采した視聴者さんが多かったんじゃないでしょうか。文帝好きな自分は思わず劉邦の超ファインプレーに泣きそうになりました。
粛清と言っても、この動画を見る限りは対象は半独立勢力の諸王ばかりで近臣ではないからなぁ。
猜疑心が暴走しての大粛清ではなくて、国家安定の為の仕上げにしか見えない。
蕭何は豊臣政権でいう浅野長政、独立した勢力としては小さすぎる
粛清祭りにノミネートされそうで「あかん、これは悪臣演じて豪遊して疑いの目除けなければ」とやらざるを得なかった人が蕭何なわけで。
なまじ政治力が時代屈指だったせいで劉邦の本拠地の留守番任されることが多すぎて、本拠地乗っ取りって線を疑いの目で見られるっていう大粛清時代に結構保身に走ったからこそ身を真っ当したのが楚漢戦争後の蕭何ってイメージです。
正直項羽より劉邦のほうが覇王という言葉が当てはまる
こう言う同胞の大粛清って粛清対象目線だと、最後の一人になるとほんと嫌だよね・・・。
逃げられない上に今まで色んな粛清を聞いてる分確実に、自分にも何時か粛清が来る事が
解ってる状態で日々を過ごすとか地獄。
まあ逃れた人間もいるわけで言うとこ処世術でしょうね。
共通の敵がいなくなれば内部争いが始まる。
人間の常とはいえ、悲しきかな😢
今年の大河ドラマでも、源頼朝が平家滅亡後に劉邦ばりの粛清を行うのが見られる……かも。
分かりやすいです。面白いです。
皇帝自らの出陣とはいえ劉邦ふつうにつえーんだよなぁ…
項羽相手にも防戦一方とはいえ耐えきってたし
やはり将の将という韓信の見立ては間違ってなかったのか
あー 最後は ハンカイに指示してロワンを討伐か。義弟に親友を殺せとは・・・疑心暗鬼はツライ。
はんかいもろわんも漢字が難しすぎる
なんなられきいきもしばいも
劉邦は垓下の戦いで勝利して以降、劉氏以外の諸侯王はいずれ滅ぼすつもりではあったのでしょう。殆どの戦いに自ら赴いているのがそれを強く感じますね。
😊
張良さんが理想の軍師とされた理由は、勝った後に粛正もされず、反乱も起こさなかったのもあるな。
多分これをやりたかったのが、石田三成。劉邦が直接討伐するから効果があるのであって、他の人々が率いてもきっと上手く行かないでしょう。豊臣政権のミスは、親族から先に誅殺してしまったところ。三成のミスは、自分の理想の政権構想(豊臣家への権力集中)が、時代の常識(大名による合議制の上に将軍が乗る)とズレているのを理論的正しさで押し切ろうとしてしまったところだと思う。
石田三成については確かにと思います。前漢の三成と言えるのが景帝時代の鼂錯であり、彼の急進的すぎる諸侯王領土削減策は、呉楚七国の乱を呼びました。豊臣政権末期の混乱時に、大和大納言の旧領を解体し、黒田長政や福島正則ら“七将”に命を狙われた三成は、鼂錯と同様に戦乱の中で処刑されるにも、彼らの業なのでしょうか。
関ヶ原を積極的に起こしたのが三成かという話もあるしね。
豊臣政権自体官僚制度がまるで整っていないので誰かが音頭を取らないとあっという間に瓦解する。
あの時点で家康がいなくなれば豊臣家自体が持たないというどうしようもない構造的欠陥があるからね。
この大粛清を華麗にかわした張良師匠。
劉邦にとっては脅威だったと思われる。
張良師匠は王ではないが、張良師匠が推戴する韓王信を葬ったのであるから。
始皇帝、項羽、劉邦と歴史を変えた人物が彗星のごとく出てくるこの時代は人類の転換期の一つですね
ご支援ありがとうございます……!!
超ド級のスーパースターばかり出てくる最高に楽しい時代ですね!!
何百年と続いた戦国時代の終わり。諸侯にもまだまだ野心があったと思いますよ。劉邦を討てばワンチャンあったかもしれない。そこに自ら出向く劉邦はやはり大人物と言わざるを得ない。
粛清した方が間違いなく平和になるからやむ無しでしょう。
各個に反乱、各個に撃破。
後々の世で諸侯が結託して大反乱、とならなかったわけで、劉邦はやっぱもってる皇帝なんだなぁ。
張敖は諸侯に落とされますが、魯元公主との子である張偃が呂氏時代に魯王として復活してます。
呂氏粛清時に再び諸侯に落とされますが、処刑は免れてます。
呂氏一族の血を引いているものの中で殺されなかったのは張偃だけとか・・・
あの樊カイの息子ですら殺されましたからね。
相手が各王朝末期の暗君でなく項羽だったのがまた凄みが出る@_@;
呂 雉も新婚の頃は良き妻だったと横山先生の漫画で説明されていたのに
劉邦は戦下手と思われがちだが項羽強すぎなだけで他には勝ってるのよね
冒頓にはコテンパンにされ、諸侯王時代の韓信とは戦争してないは一応の補足として(実際戦争になったら韓信最強だわ、と避けた)
ただ、対秦戦争時代の咸陽への一番乗り達成は張良は居たけど明らかに沛公劉邦の軍才なんですよねえ。
最終的に力のある人たちを直接間接で処刑した呂氏が専横したことによって漢が長く続いたように思えます
歴史って本当に必然ですよね
劉邦は実は結構政治も軍事もやるんですよね、家臣達が優秀でしかも敵があの項羽なので目立たないですが政治のツボは抑えていて項羽以外には負けていなかったかと。しかし皇帝になってからの劉邦はこんな有様なので横山光輝先生が項羽と劉邦の最後ではっきりと皇帝になってからの劉邦は書きたくないって言ってるんですよね。
冒頓単于...
劉邦と項羽しか選択がなかった当時は本当に地獄そのものだったとしか言いようがない
韓信による劉邦評でせいぜい10万の将ってあるけど、同時代に化物が多過ぎただけで数々の親征が示すように10万統率できるだけでも充分有能なんだよなぁ…。
項羽、冒頓単于……………
呂后も大変だったなぁ。
項羽家臣団の時も思ったのだけれど、信頼置ける家臣団と家臣を信頼できる君主は何より貴重で大切なのだろうなぁ。
しかし、朱元璋とは何か違う気がする。
それにしてもしっかり反乱鎮圧とかで結果残してるのに、ゲームや小説なんかでは戦下手扱い受けてて高祖も気の毒ですな。
私もいつか鳥人間陛下に粛清されちゃうのだろうか…((( ;゚Д゚)))
1500年後
李善長「漢の高祖のごとくすれば貴方様は天下を取れましょうぞ」
???「わかった……」
劉邦、戦が強いよね。相手が項羽の時は流石に目立たなかったけどね。
ほんまに劉邦と劉備は似てるよね
秦が中華の規範とならずに漢が中華の規範となったのはやはり秦はあくまで「列強の一角」であり「征服者」という側面から脱却できなかったからだと思う。
漢が中華帝国となれたのは、やはり何者でもないという出自がむしろ人の上に立つことを容易にしたのだと考えることができよう。
おっしゃる通りだと考えます。項羽と劉邦はどちらも楚の出身ですが、項羽は“楚人”であることに拘り、彼の封建体制は春秋時代の晋と楚の覇権争いのように楚を覇者として上に置くものでしたが、漢にはそれがなかった。能力の多寡はともかく、重臣・側近の“出身地多様性”という点は、劉邦が最も項羽に勝るものだったのではと思います。
これでも後の世に現れる朱元璋-洪武帝の大粛清に比べればまだマシという…
劉邦の場合、配下とはいえ半独立国で同盟相手に近い感じの諸王達だからなぁ。
そして、すぐに反乱が起こされている以上、真の意味での統一を目指し粛清に乗り出すのはしょうがない気がする……
劉一族で中華を統括する中で真っ先に燕王に封じられたのが呂綰と言うのが とても良い話だったのに、その呂綰でさえも信じられ無く成るのは悲しい事です😢
劉邦って結構、親征してたのか。 普通に名将だったんですね🤔
項羽や冒頓単于のような同世代最強に勝てなくても、そこから1,2格が落ちる相手ならきっちり勝てるくらいには強い。そこは400年後の子孫も同じ。
@@軍鶏しゃも 様
確かに‼️玄徳さんも曹操意外には勝率高いですね。黄巾賊、袁術、呂布
呉復讐戦 等々…
返信ありがとうございました😊
@@cainabel4909 夷陵…
@@軍鶏しゃも 高祖の軍事的評価は少なくとも英布以上と言われていますからね。
英布自身も反乱時に言っていますしね、
「韓信・彭越は敵対したら困難だが死んだ、高祖は年だから戦場には出てきまい、それ以外は小粒だから相手にならない」と。
呉芮の長沙国は、文帝の頃後継者不在で消滅したが、粛清と無縁の奇跡の異性諸侯国。
呂后死後、呂氏が、景帝の頃 呉楚七国の乱で劉氏諸侯が多く滅んだことを考えると、地味で目立たず、さりげない功を立てる事こそ保身の道なのかも?
ドリフターズで高木ブーが一番長生きしてる事に通じますね
黥布の最後の捨て台詞カッコいいですね~
唯一生き残った呉芮も面白い人物です😊
乱世は後世の人から見たらめっちゃ面白いけど当事者は大変😥
これからも動画楽しみにしてます。色々な中国史教えて下さい😊
親征して反乱を鎮圧できるんだからそれなりに有能なんだね。
まあ、韓信からも「十万ぐらいの将」と評されてたしね。
重い耳と張る耳で区別すると便利だ>チョウジ
この感じだともうまともな最期を遂げられたのは項羽の親戚筋くらいだな
本宮ひろしの赤竜王だと、項羽や劉邦は3話から出るが、黥布は第1話に出ている。
悲劇や滅亡は嫌いですから粛清の是非はともかく、後の光武帝が史上最も光属性の中華皇帝になれたのも、易姓革命の繰り返しから大陸が逃れられる可能性がかつてあったのも、劉邦の粛清とその後の中央集権にあったと思うので皇帝なるものを後世に残した実質上の初代である劉邦のことは評価しています。
劉邦にしてみれば始皇帝の秦や項羽の西楚があっという間に滅びたのを目の当たりにしてるわけでなあ。
劉邦は名君じゃないと言う人もいるけど、僕としては粛正もできないようで高祖になれるかといいたいね。粛正と虐殺は違うっての。
粛清&虐殺を行わなかった劉秀・李世民・趙匡義と比較する声はありますね。
状況の違いなどもあるので一概には言えないと思いますが…。
何となくですがあくまで語感からだと粛清は内部からの排除、虐殺は略奪・破壊が目的という印象があります。
ぎゃーすみません!
趙匡胤と間違えました!
光武帝の場合、妻の馬皇后が亡くなるとすぐ、権力を家臣に奪われちゃいましたからねえ。(その後とりかえすけど)
李世民は父と甥っ子を粛正してますし、武則天が後始末をしてくれた部分が大きい。
宋の太祖は統一前に亡くなったのでそもそも粛正は無理なんだけど、後10年生きてたらどうなったか。文治主義への転向は弟の太宗の功績が大きいですからね。
趙人って礼節にうるさいんだろな
陳勝の乱の時にも李良って武将が礼を欠いたって事で謀反起こしてるもんな
動画ありがとうございます。
漢王朝当初は中央集権と封建制の間の江戸時代の幕藩体制のようなものとかを目指していたという感じがしました。それが権力闘争の結果、中央集権体制が確立されて以後古代官僚制による政治体制が中国の政治体制となるという意味では今回の動画は中国の歴史のターニングポイントですよね。
血生臭く物悲しい粛清も、戦争と同じで政治の一貫という側面はあるんですねえ。横山光輝の漫画には「すべての権力者が陥る病」と書かれていて、この一文だけで納得しまっていました。まっさきに臧荼が反乱起こしたのも、境遇への不満や劉邦の猜疑心とか関係なくただ”先”を見ていただけだったのかもなあ、なんてことを思いました。勝ち筋あったんですかねこの人。戦っているうちに項羽陣営のように周囲で呼応者が増えることを見越していたとか?劉邦が親征してスピード解決せずに一年くらい鎮圧に時間かけてたらまた中華は荒れてたんでしょうかね。とはいえ政治と割り切れないのも人間ですし、あれだけ人たらしで成り上がったはずの劉邦が晩年には人と会うことすら嫌がったという話も、本当かどうかはともかく切ない話です。こうして栄達した諸侯王が悲惨な末路を辿るのを見ていると、禄高3万戸を断って1万戸の、それも劉邦と出会ったメモリアルスポットを希望した張良は流石ですね。それと盧綰が反乱した経緯は知らなかったんですが、彼は裏切って兵を挙げたわけではなかったんですね。高橋のぼる『劉邦』の盧綰が結構好きなのでそこはちょっとほっとしました。その一方で、その高橋のぼる『劉邦』で呂后が盧綰のこと嫌っているのにも納得……w
こんばんは。前にパントリーを通販で買ったら、しっかりサイズ測ったはずなのにドアが閉まらず泣く泣く返品した話は悲しくなるから勘弁な!因みに買い直したよ!ww
こうして革命・戦乱・粛清の終わらないワルツが大陸で始まるのであった。平和というものはその3つに移行する間のほんの一時を言うんだろうなあ。無情だ。
それにしても統一王朝の難しいところやね。功臣に大きく土地を分け与えるのか?一族で専有するのか?どちらも一長一短あるんだよなあ。
歴史視点で見れば、本来、始皇帝がやるべき事だった物を、劉邦がするハメになった。とも言える。
毛沢東「劉邦は手ぬるい、もっと粛清が必要!」
ローマ帝国が寛容さ、多様性で大帝国になったのに対して
漢王朝は画一性、同一化により大帝国になったんだと思うよな
帝国中に街道を張り巡らせたローマ帝国、かたや壁を作った中国王朝。ローマ帝国と中国王朝は実に正反対。皇帝のあり方も、ローマ帝国ではあくまで市民や元老院の代表という建前で中国のそれとは大違いでしたね...
長沙王呉氏は文帝の代まで王の地位を保ったが、子供がいなく滅んだそうな。
呂氏一族の王も呂后死去後すぐ討伐されたし、文帝の代では諸王は全て劉氏となった。
そして景帝の代で劉氏王が反乱起こすとかね・・・
逆に粛正しなかったら秀吉みたいに劉邦の子孫は滅ぼされてたんじゃないかな。漢王朝も短命に終わったと思う。
天下統一とその後で人が変わった、というよくある評価は現実感が無いというか、かなり浅い物の見方だな〜と思ってる。
たしかにそうですね…。
劉邦に限らずこの手の功臣たちが君主に疎まれて…というエピソードはどうしても排除される側に感情移入して、そこにある政治的な背景などを無視して考えてしまいがちですが、
君主個人の感情だけをその理由にしてしてしまうのも短絡的かもしれないですね。
劉邦という中国史でも珍しい生い立ちと性格の皇帝が、必要に迫られたとはいえ、本心はどんな気持ちで諸侯王を滅ぼしていったんでしょうね。なんとなく少し秀吉と似てるような気もします
前漢を作った劉邦は疑心暗鬼になって功臣を粛清をしまくったが、後漢を作った劉秀は家臣を粛清しないで王朝は安定したが一体何故この様な差が出てしまったのだろうか?
英布の「皇帝になりたいだけさ」も一見、格好いいけど、野心に目覚めての反乱ではなく、追い詰められて、一か八かの勝負にでただけだからなあ
「(死にくないから)皇帝になりたいだけさ」正解のような気がする。
政権を奪取するのも大変だけど、維持するのも大変だし、その先例もないもんね。血縁で固めるのもアリだったのかな。
ところで、「先日○○さんを粛正しました。ご相伴ください」とか何とかいって送られてきたおすそ分けの塩漬けって、みんなどうしてたのかな?捨てた?食べた?気になるわあ。
勝利を確定するには、鬼になるしかないのか。
南越王趙佗「許された」
いーよいーよ!
オープニングおもしろいよ!!
3:47の黥布とか時々出てくる実写の出展が知りたい
項羽と劉邦ドラマ でググると出てきますよ
天下統一の後なんて有能揃えた人材コレクターの秦始皇帝でさえ無理なのに劉邦で出来るかって話。
安定してたのは、清くらいになってからだな。規律や制度の完成度を上げた清も外圧が強くなると崩壊したけど。
劉邦は偉大な皇帝だけどこれがあるから名君と言い難い。
統治を劉氏で独占させたことで漢は安定し、劉氏以外の統治を否定した言葉を残したことが光武帝劉秀の助けとなった。冷酷な処置だけど名君だよ、単純な優しさじゃ帝国は作れない。
諸侯の内乱という後顧の憂いを断とうとしたと考えれば、国体維持の点では名君だと思える。